相模原グリーンロータリークラブ
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相模原グリーンロータリークラブ
第505回例会週報

504回 | 506回 | 2002-03週報目次
◆会社の近況報告
饒田 博明 会員


 私共の会社は酒販業を経営しています。来年の3月で25周年となります。本日は今日までの沿革をお話させて戴きます。
昭和54年3月 相模原市新磯野にて食料品店開店
昭和54年6月 酒類販売開始
昭和58年8月 有限会社に法人成
昭和61年8月 株式会社 饒田に改組
平成6年4月 リカーランドトップ 相模原店開店
平成7年2月 リカーランドトップ 座間店開店
平成8年2月 リカーランドトップ 町田店開店
平成9年9月 リカーランドトップ 大和店開店
平成13年6月 リカーランドトップ 海老名店開店
昭和62年5月 丸進企画設立
平成13年9月 エヌジーティー株式会社設立
平成13年10月 アルファーワン設立
平成14年9月 エヌエムコーポレーション設立

[丸進企画]
 当社の商品管理及び物流部門
商流と物流とを切り離し、営業が運ぶことを考えずに売ることに専念できる。人手不足の時代に、酒屋で募集しても人が集まらず、運送業だと採用できた。得意先が飲食店であるために、出荷はほとんどがバラ対応しなければならない。

[NGT]
 当初の仕込部門(卸免許)
将来、酒の小売免許緩和に向けて、料飲チェーン店が販売免許を取得することになると、饒田ではその顧客に卸すことができない。 小売免許穏和になり、リカーランドトップのフランチャイズ展開を可能にする。

[アルファーワン]
 当社の債権回収部門
饒田の売掛金を消費賃借契約書に変え、不良債権ゼロを目指す。

[NMコーポレーション]
 飲食業(創作料理居酒屋)
飲食業を営むことにより、繁盛店ノウハウを得意先に提供する。

 当社は、リカーランドトップの小売部門と飲食店様への業務用卸部門で構成されています。売上の比率は50%ずつです。今後は現金売りの小売部門を伸ばしていきたいと考えています。

 平成9年に大和店を出店し、平成13年海老名店出店まで4年経過しました。このことを説明しますと、当社に出店意欲がなかったのではなく、出店候補地は何ヶ所かありましたが、すべて契約できませんでした。競合が上場している企業で、地主さんがそちらを選ばれたわけです。

 このことから、当社は継続的に成長する為には出店することが最低限必要なことですが、地主・大家さんから選ばれる会社になることが求められるわけです。

そこで、近い将来には株の店頭公開を目指していきたいと考えています。公開して、資金を得るという考え方ではなく、会社の信用力を高めることと、優秀な社員を採用し、教育して競合他社に圧倒的な力の差をつけて、成長し続けたいと考えています。

◆イニシエーション・スピーチ
角田 信彰 会員

趣味
 スキーを社会人になっても続けておりましたが、やはり私の最も興味が高まったものはモータースポーツでした。
 その中でも比較的気軽に参加できる「ジムカーナ」というものに力をそそいでいくことになりました。  

 ジムカーナとは、工事現場によくあるパイロン(赤い三角柱のもの)をサーキットや広い駐車場、北海道では航空会社の滑走路などで規制をひき、コースを決め一台一台走らせタイムを競う競技のことです。  
 このモータースポーツにはまってしまい、成績も2年目で神奈川チャンピオン、3年目に関東ミドルチャンピオン、4年目に関東地区2位、同年全日本で12位に入りました。その後8年間全日本ドライバーとして戦ってまいりました。
 全日本での最高位は3位を2回程取った後、1996年に休止状態となっております。  

 その`96年からマウンテンバイク(オートバイではなく自転車)のダウンヒルを始めました。そして始めた初日にいきなり鎖骨5カ所と肋骨7本をいっぺんに折り、2ヶ月余りの入院生活をしいられるはめになりました。
 しかしその事がかえって私を奮い立たせ、一年後には全日本スポーツクラス(スポーツ→エキスパート→エリートの順)で優勝、翌年エキスパートクラスで2位、そして昨年エリートとして成績を重ねるはずでしたが、今の東京海上の代理店研修コースに入った為、活動を中止する事になってしまいました。

仕事
 1987年にボルボ・カーズジャパン株式会社(皆様ご存知の帝人ボルボは`86年まで)に入社し横浜支店(現在の東名ヨコハマ)に配属となり、13年間ボルボを販売してまいりました。
 入社動機は、当時安全性に異常なまでに拘りをもち、地味ではあるが非常に前向きな思想に惚れ、一台でも多くその安全車を世の中に広めたいという考えが沸き、この会社に入ろうと決めました。
 ところが、唯一安全車であったはずと思われていた時代から、どのメーカーどの車種に至るまで安全は当然のことの様になり、その中で戦っていく為にはコストを考えはじめ、少しずつアイデンテティーが薄れてしまった様に思いました。(批判をしている訳ではありません。企業としては当然のことと思います。)

 そして、こんどは私自身が世の中で貢献できるものはないかと考える中、父の事業の一つである保険業にわずかながら興味が出てくるようになり、代理店になるための研修制度というものがあると知り、東京海上の採用試験を受けることにしました。
 そして現在3年間の研修期間の半ばを過ぎたところまで来ました。独立は来年の9月ですが、それまで少しでも多く会社から学び、知恵を吸収し、役に立つ保険代理店、「安全と安心」を売り広め、社会に貢献していきたいと思います。

ロータリーと私
 皆様の中にはご存じの方も多くいらっしゃるとは思いますが、父がこのクラブに入会していることが影響したと思います。
 幼い頃からロータリーが何だとか、ガバナーがどうしたとかよく解らないことを口にしていたのが思い出されます。私自身このクラブに入って何をしていこうという明確な目標が見つからず時が経ってしまいました。
 しかし何をしていこうというより人格者や志の高い方が多くいらっしゃるこのクラブに入り、皆様からいろいろなことを学んで自分自身の人格形成になればいいと思い、4月から入会する事に決めました。
 また職業を通じ、社会貢献していくことが自分の使命と考え、皆様のお仲間にさせていただければ幸いに存じます。  どうぞよろしくお願いいたします。